春休みに入ると同時に気温も少しだけ上がって桜が満開になった午後、散歩にでかけました。
野川の川沿いに出る直前、いつもの通りにある巣箱の上に鳥が。
なんで?
巣箱の上にシジュウカラの置物?
いえいえ 本当のシジュウカラだったのです。もちろん。
遠目に見て、パチリ。
まだ飛ばないで!と願いながら近くにそっとよっても、飛ばずに待っていてくれました。
シジュウカラ、何を見ていたんでしょうね。巣箱の上に留まって。この箱の中にいたのかもしれないし、全く関係ないのかもしれないけれど、ともかく可愛らしい姿をゆっくりと見ることができて私は癒されたのでした。
シジュウカラと言えば、一休和尚の小坊主時代のエピソードがあるんですね。
おじいさんとおばあさんが、死んでしまったシジュウカラをお寺へ持っていき、あの世への引導を渡してほしいと頼んだ所、和尚さんが留守だったので一休さんがお経をあげることに。まだなむなむしか知らない一休さんは試案した挙句「人間でさえ人生わずか50年というのに小鳥の分際でシジュウカラとは生き過ぎたり!喝!なむなむなむ」と叫んで引導を渡したと。もちろんおじいさんもおばあさんも有難がってお布施を包んで帰ったそう。